お知らせ

苦労の代償(稲盛和夫一日一言より)

あたりまえと評価されるには?

努力の継続をしている結果、苦労をしている結果だっちゅうことだね。

努力することを継続している・・・

継続したと過去形になってしまっては、

あたりまえの評価はね、

そこで止まっちゃうかな〜

あたりまえと評価され続けるには、

そのあたりまえの状況を継続し続けることができているから!

努力すること。

継続すること。

この苦労・・・

これが難しい・・・

これを苦労・・・

ん〜、苦労というのか?

苦労と思えば、苦労かもしれないけれど、

あたりまえのことをするのであれば、

苦労とは思わないというか、

思う必要がないというか。

努力っていうのは、

どこからが努力か?

んでもって、

その努力の方向性は間違えていないか?

努力の仕方は間違えていないか?

努力を間違っちゃう人ってのはね、

いるんだよね。

努力を間違うというか、

努力する方向とか、

努力するものを間違うというか。

努力をしない人はね、

ほとんどいないと思ってる。

ただ、方向とかを間違えちゃうとね、

結果に結びついていかないとかさ。

んで、結果が伴わないと〜

継続を辞めてしまいがち。

努力する方向を間違えずに、

結果を伴いながらね、

努力を継続していけば、

それは苦労と認識されるかもしれないけれど、

苦労の代償・・・

苦労の結果としてね、

いい評価がされるんじゃないかな?

でも、その評価ってのは、

その事業においてはさ、

あたりまえのことってのがね、

実は、ほとんどだったりする。

じゃ、あたりまえのことをね、

あたりまえにやるには?

もうね、これは無限ループだね。笑

努力を継続する。

それで、あたりまえ〜

それが、あたりまえ!

ちゅう感じでね、

今日はこんな感じでいっか!笑

したっけね〜

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