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謙虚であれ(稲盛和夫一日一言より)

謙虚・・・

謙る・・・へりくだる。

控えめであること。

控えめであることに対し、バカにしてくる人もいる。

バカにされたこともある。

バカにされたことがある。

俺の経験。

そして、そのときの謙虚さ・・・謙遜・・・

へりくだったときの俺は、

本当にへりくだっただけだったのか?

思い出す・・・

自問自答・・・

へりくだりかた・・・

本当の意味での謙遜ではなかったのではないか?

本当の意味・・・

控えめにしている。

のではなく、

控えめにしかできなかったのではないか?

なぜならば・・・

実力が伴っていなく、

背伸びした状態で、

実力があるように見せかけていた。

謙虚さを持ち、

謙遜するということは大事だけれど、

控えめである前に、

控えられるほどの状況だったのか?

態度や言動を控えめにする。

そういう謙虚を著者は言っているのかもしれない。

しかし、俺の受け取りは~

控えめである前に、

力をつけるとき・・・

成長途中・・・

実力を上げていく段階・・・

そういうときに、控えめになることで、

謙虚をはき違えてしまい、

結果、中途半端な状態になる。

こういうことも考えられるんじゃないか?

なんか~・・・うまく書けないけれど、

なんか~・・・哲学っぽくね?笑

昨日のブログもね、

謙虚を考えていて〜

言葉と行動で思考が迷宮入りしたけど〜笑

今日も引き続き・・・

難しいね〜

んで、

力をつけていく段階のとき。

この時に控えめな行動をすることで、

成長できるものを遅らせることはないのか?

ある程度の成長をして、

ある程度の力をつけ、

他より秀でるところが感じられたら、

その時には、へりくだることは必要なんではないか?

なんとなく、わかる?

これはハングリーさにもよるのかな?

何かを成したい!

成し遂げたい!

そういうところへ、全力で向かっている途中、

へりくだる余裕があるのか?

謙遜する・・・

実力がないものが謙遜する・・・

仲良しこよしというか、

控えめの中にある美というか・・・

そういう日本人的な?

美徳?

こういうもんはあるだろう。

ただ、それは相手の人がいる場合に限ることで、

何に対しても、控えめである必要はない。

覚えるとき、

学ぶとき、

成長する途中・・・

ここを控えめにしても、成長が先延ばしになるだけ。

それでもいいのか?

限られた時間・・・

結果を出さねばならない時・・・

控えめでいることは、ない!

相手があって、そこに控えめにして、

関係性は良好になることが多いかもしれない。

しかし、何でもかんでも控えめでいいのか?

控えめにすることで、

謙遜することで、

逆に相手に不快を与えることはないのか?

謙虚さは大事だけれど、

明らかに、なにか秀でていることがあって、

それを謙虚さから謙遜することで、

嫌味と取る人もいる。

受け取りは、人それぞれ。

受け取りを気にしていたら、何も行動できなくなる。

だから~

結局何が書きたいのか?笑

控えめにするところ。

謙遜する時、へりくだるとき・・・

それがある。

いつもではない。

すべてにおいてではない。

じゃ、それをどうやって使い分けるか?

それは、直感的なもので判断したり、

瞬発力で判断したり、

あえて、謙遜したり。

謙遜するときと場合。

謙遜することで、行動まで制限する必要はない。

しかし、そうなる人やときもある・・・

んじゃない?

行動はイケイケガンガン!

発言や対応は控えめに。

謙虚・・・謙遜・・・へりくだる・・・

ん~

これが良いときとそうでない時が、

やっぱりどうしてもあると思う。

だから、また話が振出しに戻っていく。

使い分けをどうするか?

使い分けるものなのか?

意識レベルで、謙虚を意識しておく。

これが必要なだけなんじゃないか?

な~?

なんてな~

ようわからん!

しかし、謙虚さは大事!

ちゅうことで、

したっけね~

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