お知らせ

ある人にできることは、誰にでもできる(自助論より)

大概のことは、努力と忍耐力で結果が出る。

んで、今日のタイトルのように思い、信じて行動することは、良いことだとは思う。

ただ・・・

ただ、なんだよね。

ある人にできることという表現の問題かな。

ある人がやれることは、誰にでもやれる。

これが、俺にはしっくりくる。

そして、ある人にできることは、誰にでもできるだろうけど、ある人と同じようにできるとは限らない。

ということ。

わかるよね。

文字、表現の仕方に過ぎないんだろうけどさ。

「できる」なのか「やれる」なのか・・・

できるってなると、意味があり過ぎてね。

人によって、受け取りも解釈も変わってくるから、できるって言葉は難しいよなぁ。

やれるかどうか?

ここでまず、やるという行動をする。

ある人にやれるってことは、誰にでもやれる可能性というか、幅がある。

そして、やれる環境であれば、やるという行動に移せる。

そして、やった結果、できたかどうか?

行動したら、どんな結果かは置いといても、ある一定の「できた」にはなるんだよね。

だけど、ある人と同じ「できた」とは限らない。

やったらできるけど、同じできるにはならない。

たぶんね、今までの経験で、いろんなタイプの部下を結構な人数と関わったことがあって、

いろんな受け取りをする人がいた、という経験がある。

そういう経験をしてきているから、言葉や受け取りを、俺はかなり気にするんだよね。

このブログに関しても、不特定多数の人が見る、読む。

そして、それらの人がどう受け取るかわからない。

そして、俺の意図していない受け取りをして、理解不能な批判をしてくる人もいる。

そういう人はめんどくさいし、放っておくのが一番いいけど、

やっぱり目にするとね、いい気持ちはしない。

だから、どう受け取られても、俺の中でね、それは勝手な受け取りだよね。

って、俺自身が納得できるように書いている。

話がズレているんだけど・・・

やれるとできるは、俺は違うと思うし、

どちらにせよ、ある人と同じにはならない。

ひねくれた解釈をしなければ、多くの人は、今日のタイトルを読んでさ、

こういうことだよねって理解できるタイトルだと思うんだけどさ。笑

俺の考えも含めて、

少数の・・・ごく一部の、

理解不能な解釈をする人への予防ブログにしてみた。笑

予防でなくて、挑発になっちゃったぐらいにして~笑

まぁ、いっか!

ちゅうことで、したっけね~!

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