お知らせ

学校教育で学べるのはほんの初歩(自助論より)

1日の夕方からのテレビ番組が嘘のように、

昨日のテレビは年始番組ばかりだったね。

その時、その時の衝撃的な出来事でも、

時間の経過とともに・・・

被災地の人々は、大変な思いをしてるだろう。

でも、テレビが普通にやることで、気を紛らわせたり、

元気をもらってる人もいるかもしれない。

ふとね、いろいろな想いがね。

日常が一変するという経験。

災害に限らず、経験あるんじゃない?

とまぁ、ね。

今日のブログを書く前に、なんとも言われないこの変な感情を書いてみた。

んで、今日のブログ。

これもね、このタイトルに関することもね、

今までに何度かね、似たようなことを昨年のブログで書いてるけど・・・

義務教育を受けてきてさ、

社会に出て、何が役に立った?

多くの人は、読み書き計算の基礎くらいって思ってるんじゃない?

実際、俺自身、何が役に立っているか?

加減乗除の計算、一次方程式、はじきの法則、読み書き、地理、道徳・・・他に何があるかな?笑

小中と9年間義務教育で学んできて、そして高校でも学んできて、何を覚えているか?

どのくらい覚えているか?

記憶に残っている部分もそれなりにあるけれど・・・

じゃぁ、学校で学んできたことって、なに?

何のため?

テストのため?

入試のため?

俺はね、これは声を大にして言いたいんだけど。

多くの親に伝えたいんだけど。

学校で学んだことを、成績以外に求めるなら・・・

成績どうのこうのじゃなくて、

学び方を学ばせるべきだと。

調べ方を学ばせるべきだと。

考え方を学ばせるべきだと。

気づきを学ばせるべきだと。

社会人になって、仕事ができる人、できない人・・・

嫌でも、そういう評価は、上司や他者に勝手にされることあるよね?

そして、仕事ができないと思われちゃう人って、仕事の覚え方からして独特じゃない?

段取りの部分だったりも含めて。

違うかな?

それは、学校での学びが、言われたまま・・・

だったからじゃない?

やらされてきた勉強。

やらされてきた教育。

もちろん、やらされるよ。

やりたくないことも学ばされるし、やらされる。

そこで、どうやって、やらされる感を無くすか?

やろう!

やる!

こういう前向きな気持ちで、どれだけ取り組めるか?

俺自身、数学が嫌いだった。

でも、方程式や証明問題は好きだった。

嫌いな科目でも、好きな単元はあった。

学ぼうって気持ちがあったからだと思う。

覚えようって、ね。

それは、試験や成績の為だったけど・・・

社会のこういう場面で、こういう風に役に立つんだよって教育をされたら・・・

どうだったろうね?

これはこういう時に使うんだよって。

でもね、それは無理なんだろうね。

なぜなら、社会で役に立たないことも、教育プログラムにあるから。

学習指導要領で定められているから。

学習指導要領って、知らない人もいるのかな?

そして何よりも、教師が他の職種のことを知らないから。

まぁ、多くの人がね、社会に出て、一つの仕事を長く続けていると思うんだけど・・・

これはね、転職しまくった俺だからの考えだよ。

一つの仕事しか経験していない人は、視野が狭い。

そして、それが一つの会社であればなおさら。

そういう人がけっこう多いと思う。

で、そういう環境の人達でも、視野が広い人はもちろんいる。

それは、学び方を知っている人。

気づきや調べ方、能動的に学ぶということを知っている人。

違うかな?

俺は、いろんな会社で、いろんな職種を、いろんな立場で経験してきて、

経験の中から学んできた。

その時その時の環境、上司、同僚からも学べたしね。

ぶっちゃけ、職種によって、人種?民度?性格?性質?というかなんというか、違うよね。

この職種は、全員が全員じゃないけど、こう人が多い傾向にあるとか。

そう思わない?

って、話がだいぶ外れてきたから、この辺で終わらせるけど・・・

学校教育で、何を学ぶか?

学ばせるか?

日本に住んでいたら、嫌でも行かなきゃならないんだから、どうせやるならどうやるか?

これを、親が子供に伝えていくべきなんじゃないのかな?

~べきってのはアレなんだけど、でも、そうしないと誰が子供に伝えるんだ?

って話だよね。

育児もしてきた俺だから、

そして、教育を受けて、今まで一応生き抜いてきた俺の、現時点での思考だよ。

ちゅうことで、

いろんな意見や考えはあるだろうけど、ここでおしまい!

したっけね~!

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