美装と警備の会社で、営業係長をしていた時の話。
前回の日曜日の続きだね。
給料の支払いが月遅れになり、それが二か月連続であり・・・
いよいよ俺は、生活保護課とハローワークに相談に行ったんだよね。
今日は保護課への相談状況でもお伝えして、明日ハローワークでの出来事を書いていこうかな。
まず、なぜ保護課に行ったか?
当時はシンパパって結構めずらしかった?のよ。
1歳2歳の育児しながら、親の協力とかもないシンパパね。
親は茨城で俺の父親だけでしかもガンで療養中だし、弟は当時大学院生だったかな?
親戚もみんな茨城だから、札幌には身寄りはいないからね。
そういう状況だから、誰にも頼れないし、いや、身内には頼りたくなかったし・・・
すぐに次の仕事がみつかればいいけど、最悪、なかなか見つからなかったらって考えて、保護課に相談に行ったんだよね。
知り合いに保護を受けているシンママさんがいたからさ。
保護課に相談してみたらってね。
そのシンママさんは、近くにご両親がいて、2歳のお子さんと二人暮らし。
仕事はしていない。
通勤に便利なとこに、やりたい仕事がないからってね。
そういう条件でも、保護費もらえるんならって。
とにかく行ってきたよ。
まず第一印象。
いやぁな感じ。
たまたまその人がいやぁな感じだったんだろうけど、どんよりとした重い空気感、いまだに覚えてる。
すぐに仕事が見つかれば保護は受けようとは思いませんが、最悪の場合の相談です。
ってね、希望を?状況を伝えたよ。
仕事見つかるまでの間だけでいいのでってね。
返ってきた内容は、
「仕事がなくなって、これ以上生活できないってくらい生活に困ってから来てください。」
「あなた男性ですよね?」
「30代ですよね?」
「働き盛りですよね?」
「まず仕事してください。」
って。
あなたなら、どう感じる?
俺は・・・俺は、怒りが込み上げてきたよ。
困ってからじゃ、遅いんだよってね。
でもね、息子を抱っこしてたから、怒りは出さなかった。
何を言ってもダメ。
でも・・・もし仕事が見つからなかったら、見つかるまでの間でいいから・・・
給料が遅れているから、いつ入るかわからないし・・・
給料が入らなかったら、生活ができなくなる・・・
俺の分はいいから、せめて息子が生きていけるように、少しでもいいから・・・
何とか、何とかって懇願したけど・・・全っ然ダメ。
男性で、働き盛りなので、申請自体受け付けませんってさ。
仕方ねぇから、仕事を探すっきゃないよね。
その足で、ハローワークに行ったよ。
何としても、切れ目なく仕事見つけなきゃなんねぇしね。
あの時、俺は本当に真剣だったな。
俺はいいから、息子が不自由なく暮らせるようにしてやりたい。
俺は飯食わなくてもいいから、息子の分だけはって。
息子が生きてくために、懇願した。
情は、行政には届かなかった。
シンママだったら、保護費を受けれたの?
シンママがうらやましくも感じた。
今でこそっていうのはあるけど、当時、シンパパは児童手当のみ。
児童扶養手当は、シンママだけだった。
その後の法改正で、児童扶養手当がシンパパにもってなったけど、そん時はもう所得制限で・・・
行政なんか嫌いだ!
って言ってた俺が、思ってた俺が、行政に関わる仕事をしている。
なんか、なんなんだろね。
この時に、保護のことを学んどいて、良かったわ!
って、なったのは、だいぶ後のこと。笑
嫌な経験も糧になる!
ってことで、今日はここまで。
したっけ、じゃ!