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考える人の自由 ──対話から見えた「仕事と釣りの同質性」

🪶 考える人の自由

――HAJIMEとの対話を通して

HAJIMEとの会話の中で、
「釣り」と「仕事」のあいだに流れる共通の思考構造が見えてきた。
テーマは一言でいえば、決めつけないという自由だ。


書類を折るか、折らないか

仕事の現場には、「なんとなく守っている決まり」が多い。
たとえば——
「この書類は折ってはいけない」
「この手順で進めるのが普通」
理由を問えば、「そういうものだから」と返ってくる。

けれど、本当にそうだろうか。
“折ってはいけない”と書かれていないなら、折ってもいい。
“大事な書類だから”という感覚的な理由は、
実は“考えなくても済む理由”になっていることが多い。

私たちは、気づかないうちに「思考の自由」を
自分で狭めてしまっているのかもしれない。


一本で成立する思想

釣り人であり、コンサルタントでもあるHAJIMEはこう語っていた。

「軽いルアーも重いルアーも、不意の大物も。
一本で全部やれる“万能竿”が好きなんだ」

彼にとって、道具を分けることは効率ではなく制限に近い。
現代の釣りでは、“巻きもの用”“撃ちもの用”と細分化が進み、
最適化された結果、釣り人の判断や感性が失われつつある。

仕事の現場も同じだ。
マニュアルを作ること自体は悪くない。
けれど、使うために作られたマニュアルと、
飾るために存在するマニュアルはまったく違う。
前者は現場で生き、後者は棚に眠る。

HAJIMEの言葉に置き換えれば、
「飾りマニュアルは“専用竿”のようなもの」。
使う場面を限定してしまえば、自由は失われる。
だが“使えるマニュアル”は、“万能竿”と同じく、
状況に合わせて考える余地を残してくれる。

現場で起きる出来事をその場で判断し、
感覚と理論を重ねて整えていく力——
それこそが本来の「万能」ではないだろうか。


決めつけないという成熟

HAJIMEとのやり取りの中で見えてきたのは、
自由とは、型を壊すことではなく、整合を取ることだということ。

「これはこうあるべき」と思い込んだ瞬間、
人は視野を狭めてしまう。
書類を折るかどうかも、
竿をどう使うかも、
本来は“その場の整合”で決めていい。

大切なのは、ルールを破ることではなく、
考えて決める力を取り戻すこと。
それが、“考える人の自由”であり、
成熟した現場の判断だと、私は思う。


釣りと仕事の交点

HAJIMEが釣りを続けている理由は、
魚を釣るためだけではない。
現場で考える力を鈍らせないためだ。
自然の変化を読み、状況に応じて判断し、
その一瞬に整合を取る。

それは、訪問看護の現場や経営の判断と同じ構造を持つ。
釣りは彼にとって、思考の筋肉を保つ“実践の場”。
だからこそ、仕事と釣りはいつも同じ線の上にある。

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