死ぬ時は、魂だけを携えて新しく旅立つ・・・
著者はこのように表現していて〜
だから、生きている間に魂を磨く。
心を磨く。
言わんとしていることはわかるけど〜
まず、死んだらどうなるか?
ここは俺はわからない。
輪廻転生とか、あの世だとか、天国だの地獄だの・・・
わからない!
だもんだからね、どう死ぬか?
という考え方に繋がるのかもしれないけれど〜
死んだあとのことがわからないんだからさ、
どう生きるか?
ここを考えて生きていくのがシンプルな思考かな〜
んで、どう生きるか?
と言ってもね、
もちろん1分後、1時間後、1か月後、1年後・・・
未来のことは、わからない!
ただ、何もなけりゃあね、
直近の未来をイメージして生きていける。
1分前の俺は、あと10分はブログを書いているだろう予測をしてて〜
んで、1分経過した今、イメージ通りにブログを書いている。
未来の自分をイメージする。
ここで大事になる思考がさ、
自分一人だけの時間なのか?
相手がある時間なのか?
これによって、イメージは変わる。
変わらん人がいたら・・・
ん〜・・・
そういう人もいるのかなぁ。
いるのかもね。
なぜ変わるか?
あたりまえじゃんって話になると思うんだけど〜
生きるってことはさ、
生きている間ね、
死ぬまでの時間の経過を体験していってるってことじゃん。
死へのカウントダウンを生きている。
つまり、不死でない限り、何年後なのか人それぞれだけど〜
死ぬまでの時間。
これを生きているというね、人生っていうね、この考え方は事実だと思う。
そして、これは、自分軸での話。
ここに、相手がいたら?
相手も自分軸があって〜
相手の人生、死ぬまでの時間を共に使っている。
こう考えられる。
となれば?
生き方は変わるよね?
んで、生きている間・・・
死ぬために生きるんだけど〜
少なくとも、生きている間に、いろんなことと関わり合う。
んなもんだから、ここにはね、思いやりとかっていう配慮。
心の部分の成長をしていかないと・・・
どうなる?
子供の頃のままで、成長しないとどうなる?
ただ・・・
大人になるにつれて〜
子供の時にあった、無邪気で純粋な探究心とかを失っていく愚かなことをする。
ほんと、俺は愚かだと思ったよ。
だからこそ、ね。
無邪気や純粋を取り戻すのは難しいけれど〜
当時の俺の無邪気さや純粋はわからないから〜
素直でいることを心がける。
素直になる。
ここがね、心を、魂を磨くうえでね、
俺は大事な部分の内のね、一つなんじゃないかなって思うんだよね。
ちゅうことで、いい感じで10分経過したかな〜
なので、おしまい!
したっけね〜