お知らせ

苦労の代償(稲盛和夫一日一言より)

どの職位にも、

それぞれの職位の責任と苦労がある。

そのうえで、

責任の重さや重圧などといった精神的負荷が大きいのは、

経営者や管理者。

ここに間違いはないと思う。

同じ時間を、

同じスピードで、

使える時間はね、

立場とか関係なく同じ・・・

その中での責任の大きさ・・・

それを全うするための努力。

立場が違うんだから、

努力するのもあたりまえ!

これも一理ある。

しかぁし!

努力の質というか向きというか内容は違うだろうけど、

最も努力せねばならんのは、

経営者や管理者よりも、

職位が低い人たちのほうなんだよ。

んで、多くのこの職位の人たち・・・

努力と言える努力をしていない!

責任ある立場になる人たちの努力と比べると、

努力と言えない!

かもしれない!

だから、指揮する側と指示を受ける側とあるんだろうけど・・・

で、努力を苦労とするならば、

この代償・・・

時間の使い方、内容じゃないかな。

ん?

ちょっと待て・・・

代償って、どんな意味よ?

なんか・・・

なんか・・・

伝わるけど、

意味はわかるけど、

なんか、違くね?

なんだこの違和感・・・

まぁ、一回これ、終わらすか!

苦労の代償はね、

代償というか、

苦労は必ず報われる!

それは、いつかはわからない。

だから、苦労の先に何があるのかを見るのはいいけど、

苦労の先にあるだろう報われるもの。

ここを考えているうちは、

時間が足りない、足りないと・・・

苦労する時間を消費することの連続・・・

代償って・・・

報われることなのか?

消費されていく時間や労力のことでは?

代償の本質は〜

多くの人が考える代償ではないのかも・・・

かもしれない!

てか、ダメだ。

なんだこの違和感・・・

AIさんに聞かねば!

なんてな〜

ちゅうことで、したっけね〜

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