あたりまえと評価されるには?
努力の継続をしている結果、苦労をしている結果だっちゅうことだね。
努力することを継続している・・・
継続したと過去形になってしまっては、
あたりまえの評価はね、
そこで止まっちゃうかな〜
あたりまえと評価され続けるには、
そのあたりまえの状況を継続し続けることができているから!
努力すること。
継続すること。
この苦労・・・
これが難しい・・・
これを苦労・・・
ん〜、苦労というのか?
苦労と思えば、苦労かもしれないけれど、
あたりまえのことをするのであれば、
苦労とは思わないというか、
思う必要がないというか。
努力っていうのは、
どこからが努力か?
んでもって、
その努力の方向性は間違えていないか?
努力の仕方は間違えていないか?
努力を間違っちゃう人ってのはね、
いるんだよね。
努力を間違うというか、
努力する方向とか、
努力するものを間違うというか。
努力をしない人はね、
ほとんどいないと思ってる。
ただ、方向とかを間違えちゃうとね、
結果に結びついていかないとかさ。
んで、結果が伴わないと〜
継続を辞めてしまいがち。
努力する方向を間違えずに、
結果を伴いながらね、
努力を継続していけば、
それは苦労と認識されるかもしれないけれど、
苦労の代償・・・
苦労の結果としてね、
いい評価がされるんじゃないかな?
でも、その評価ってのは、
その事業においてはさ、
あたりまえのことってのがね、
実は、ほとんどだったりする。
じゃ、あたりまえのことをね、
あたりまえにやるには?
もうね、これは無限ループだね。笑
努力を継続する。
それで、あたりまえ〜
それが、あたりまえ!
ちゅう感じでね、
今日はこんな感じでいっか!笑
したっけね〜