一生懸命に努力し、自立していくことは重要。
しかし、それと同時に、他者からの援助や支援も必要。
年齢を重ねてきて、経験を重ねてきて、まさにそう思う。
若い時には、俺が俺が・・・
俺がやる、一人でやる。
俺はできる。
自分自身の成長ばかりを考えていたように思う。
というのは大げさなんだけど、
他者の援助や協力がなきゃってのは、
言葉となんとなくの感覚では理解していた。
でも、なんとなく、なんだよね。
やればできる。
俺はできるって・・・
俺の努力が、結果に結びつくって。
でもね、自分一人では限界もあるし、自分で限界を作るなという考えもあるぐらいだし・・・
てか、自分で限界を決めるのはよくないとは、思う。
自分で限界をつくったら、そこまでだから。
限界突破するぐらいの努力もすべき。
だけどね、効率とかも含めて、現実的に考えると・・・
成功というか、良い結果を得るためには、他者の援助や支援、協力が必要。
これはマジで。
何とかして、自分でやりたい。
自分たちでやりたい。
時間がかかってもいいのなら、
時間的に制限が無いのであれば・・・
時間以外では、資金面とかでもね。
制限が無いのであれば、自分たちで努力して成長していくことは重要。
その時に、視野は偏っていないか?
これを見落としがちかな~
考えて考えて、こんなに努力してきたのに・・・
誰かの何気ない一言で、解決することもある。
そんな経験してない?
俺は、今も努力しているけど、
他者の援助が必要で、
適当な言葉が見つからないんだけど、
他力本願・・・
本来の意味の阿弥陀仏の慈悲の働き・・・
慈悲・・・
苦を除き、楽を与えようとする心・・・
俺は阿弥陀仏でも何でもない、その辺にいるおじさんだけど、
たぶん、たぶん、経験というものに関しては、年齢で考えると、
男性という視点で考えても、
多い方だと思う。
管理職としての経験もね。
そして、たぶん、なかなか想像できないんじゃないかっていう仕事量はこなしてきた。
努力と自分でいうのは変なんだけど、
たぶん、他の人から見たら、
なぜそこまでやるの?
って思われるくらいのことはしてきた。
そして今、俺はその経験を他者に与えたい・・・
与えたいってのは、言葉が悪いね。
何様よってね。笑
でも、俺を活用してくれたら、それなりの知恵と経験は提供できると自負している。
というね。
若かったら・・・
っていっても、つい最近。
令和2年の時点では、俺の経験や知識を、他者に提供しようなんて考えていなかった。
しかし、今はそれを生業としている。
合う合わないはあるのは承知だけど、もし困っていることがあって、俺でできることなら、
俺の精一杯を提供する。
俺の知識、経験、知恵をね。
っていうことで、自分の努力も大事だけど、他者の援助も必要だよって話でした〜。
っちゅうことで、したっけね~!