お知らせ

活路を開く(稲盛和夫一日一言より)

豊かな時代に、新たな活路を開くには?

自分を極限まで追い込める強さと勇気が必要だ、と。

豊かな時代・・・

景気がどうのこうのってのもあるだろうけど・・・

お金次第で、どうのこうのってあるだろうけど〜

お金の作り方・・・

収益の得方ってのはさ、

多種多様にあるね。

便利なもの、日常生活で必要なものも売ってるし〜

食料もそう。

町に一件のスーパーと小さな商店くらいしかなかった子供時代を過ごしてきた俺からしたらね、

夜中でもコンビニでものが買える!

これは、素晴らしいことだったね〜

んで、そのコンビニも種類があり〜

選ぶことができる。

情報とかもね、

昔はテレビと新聞、雑誌・・・

今は、インターネットの普及により〜

情報収集の幅がめちゃめちゃある。

お金がないから、豊かじゃない・・・

とは言い切ることができない世の中ではあるね。

選択肢がある時点で、豊かととらえることもできるね。

んで〜

いろいろな選択ができる時代。

長男だから家を継ぐだの、なんとかかんとかっていう生き方の縛りもない。

もしかしたら、そういうところを重んじる地域もね、

まだあるかもだけど〜

それはね、選択肢の幅を制限されているからであって、

また、それを良しと考えているからでもあって〜

んで、

選択肢がたくさんあるということは、

豊かであると言えると思う。

こんな世の中でね、

不満ばかりの人、不満しか無いような人もいるかもしれないけれど〜

そういう人がいてもいいんだけど、

俺個人の思考で考えるならば〜

選択肢を自ら狭めて、

行動に移したがらずに、

現状維持で変化を求めず、

ラクを考えている人・・・

こんなタイプになるのかなってね、勝手に思ってる。

選択肢を狭めるということは、視野が狭いか、広げたくないのか?

・・・行動もだけどさ〜

たとえばさ・・・

著者はさ〜

新しい活路を開く場合のことでね、

極限までにって書いてるけどさ〜

これね、極限でなくてもね、

考え方を変換というか、柔軟というか〜

ここが必要なのかなって。

ん・・・考え方を、賢くするというか・・・

学校では教わらない、学力とは違った思考とか考え方で、人生を学ぶというか・・・

たとえばさ~

別に俺が賢いということでもなくて、

ただ、働き方としての追い込み方?の一つとしての考え方・生き方で、意識するというか、身につけていくというか・・・

いくつかあるんだけどさ、

まずね、いろんな情報や経験をね、全く異なる別のことにも、情報や経験を活かす思考。

俺はさ、介護保険のアドバイスをするのに、運転免許を持っている人には、道路交通法の話をしたり~

それこそ、タイル屋時代の話とか、介護と無縁と思われる経験を使用する。

つまり、相手に伝えるという仕事をしているから、伝え方を磨くための方法として、

多様な例え話、多くのいろんな経験や情報を、身近なものに置き換えるという感じのね、

こういう思考を常にできるようにってのは、練習?訓練?意識かな~

こういううのんをね、している。

それだけでなく、

相手の反応から・・・

表情や相槌・・・言葉とかの間から、言葉にしていない相手の状況の推測だったり~

気づかないふりをするということをしたり、気づくことで方法を変えたりとか~

つまり、これも目から入る情報をどうするかってことなんだけど~

その情報を活かすのか?

その情報はスルーするのか?

もしくは、その情報は捨てるのか?

時と場合、まぁ状況によってね・・・

今の時代・・・

情報の多い時代はね、情報を選択し、捨てる覚悟が必要で~

この捨て方ってのは、生き方に、働き方に繋がるというか・・・

伝わるかな?

あとは、これもよく書いているけれど、俺の右上と左上に、もう一人というか客観視している自分を作っておくとか~

んで、多様性の時代?笑・・・

だからこそ、いろんな人がいることを受け止め、いろんな思考があることも受け止め、

新たな気づきに対して、素直に受け入れていったり~

前はこう思ってたけど、前と違っちゃうけど、今はこれもあるなぁとかの受け入れ、受け止めとか。

これらの思考があるとさ、新たな発見というか、

手段・・・方法、やり方や仕方・・・

一つにとどまらず、いろんな方法を考えることをしたり~

つまり、生き方を学び、それを生かすことがね、

新たな活路を開くと、俺は思っている。

どのように追い込むのか?

生き方の固定観念をぶち破る強さと、

自分や周りを変化させるというか、変われるというか、変わる勇気と行動。

俺は、これが新たな活路を見いだし開くことになるのかなって。

あまりにも著者の言葉が少なかったから、俺の思考を思いっきり書いてみた。笑

少なくともね、俺は53年間生き抜いてきた。笑

ただ生きてきたんじゃない。

生きるということをしてきた。

どう生きるのか?

どう生きていったらいいのか?

他者から批判もされるし、悪口も言われるし、嫌われもする。

そういう人がいてもいい。

俺が生き抜いていくことでね、それは一時の一瞬のことで、

俺の生き方にとっては、シンプルに外野のこと。

外野の意見を取りいれないのではなく、外野の情報を取捨選択する。

さっきの情報と一緒ね!

どれを活かし、どれを捨てるのか?

それを選択した自分を客観視したり、

対処法も一つじゃなく、複数考えられるし、行動もできるし。

そして、そこには、過去のいろんな経験から、今に当てはめられる経験をね、

形を変えて、経験の内容を置き換えて活かす。

学校では習わない学ぶ力、生きる力、生き方・考え方、行動の仕方。

こういうのんの幅を広げ、自ら狭めない。

これがね、新しい活路になっていくのかなってね。

なんか、今日はちょっと真面目なアツ語りブログだったかな~

でも、伝わるにくいかもね~

俺の表現力、言語化の未熟さよ・・・

ちゅうことで、したっけね~

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