土日祝日限定シリーズと勝手に決めて投稿している「私はこんな人」です。
幼少期から今まで、過去のエピソードや人前に出していない本当の私、カッコいい私、カッコ悪い私、成功談、失敗談、私という人を暴露していくシリーズです!笑
秘密主義?の私が、なぜこのような内容でシリーズ化しようと思ったか?
単純に、私自身が商品である事業をしているので、私を知ってくださいってことです。
別に知らなくてもいいって人も多いでしょうね。
ただ、私が勝手に語りたくなっただけ。
興味のある人が読んでくれるだけでいい。
もしくは読まれなくてもいい。
記憶を遡り、自分自身を表現することで、脳の活性化?ボケ防止にもなるでしょうし、これもアウトプットの練習になる。
こういう目的もあるという、土日祝日のシリーズになります。
と、前置きはこのくらいにして、昨日は私の記憶においての人生のスタート、4歳のある日の私をちょこっと書きました。
続きの前に・・・
私は、茨城県の北部、山方町舟生というところで生まれ育ちました。
今では平成の大合併で、常陸大宮市舟生となっています。
曾祖父、曾祖母、祖母、父、母、そして私。
弟が、私の入院中に生まれます。
幼少期は、7人家族でした。
今の時代と比べると、人数多いですよね。
そして、私の名前についてですが、真剣に聞いたことはないのですが、記憶にあるのは・・・
もともと、両親は女の子が欲しかったそうなんです。
女の子だったら、「優子」だったらしい。
でも、出てきちゃったのが私。
名前を考えてなかったようで。
当時、親戚など周りは女の子ばかり生まれていたらしく、男の子は初めてってことで「はじめ」
最初ということで「一」ではじめ。
しかし、名字が「小林」、名前が「一」だと簡単すぎるだろうと、母親の意見らしい。
だったら一番難しい字「肇」になったと聞いています。
えっ、いい加減???笑
今でこそ、まぁ。50年この名前で生きてきたので、今は何とも思っちゃいませんが、そうですね、40歳になるくらいまで、私は自分の名前が嫌いでした。
まぁ、この名前嫌いのエピソードは追々ね。
初の男の子ってことで、ずいぶんかわいがられたらしいです。
写真を見る限り、ひいじい、ひいばあに囲まれて、大きなぬいぐるみに乗っていたり、ドラムをたたいていたり、みんなにおんぶや抱っこされてるので、かわいがられてたんだろうね。
しかし、昨日書いたように、記憶があるのは4歳の交通事故の後からだから。
入院中に、弟が生まれたんですよね。
誰かは記憶にないけど、病室の窓から外を見て、左側から右に向かって走っていく車を指さして、あの車に弟が乗ってるって教えてくれたんだよね。
入院中の記憶も途切れ途切れ。
二人部屋、隣のベッドはお姉さんが入院してて、絵本とか読んでもらってたような記憶もかすかにある。
どこのお姉さんかしらんけど。
一か月くらい入院してたっぽいですね。
この時の記憶はこれくらい。
入院が退屈だったのかとか、何の感情の記憶もない。
感情の記憶があるのは、保育園に入園してから。
退院後に入園なんですね。
入園式は入院中だったらしく、たった一人の入園式をホールでやってもらったのを覚えてます。
その時のエピソードは次回!
いろんな感情がありました!笑
明日は、通常版。
「効率化」の6回目です。
スケジュールを遂行する時に重要なこと!ですね。
では。