お知らせ

極楽と地獄(稲盛和夫一日一言より)

今日のんは長い文章だったな。笑

前段としての話を読んで、

幼少の頃に読んだ漫画を思い出したよ。

ばあちゃんが天理教だったからか・・・

なんかね、地獄と極楽の話の漫画をね、

読んだ記憶がある。

天理教とは関係ないのかもしれないけれど。

どんな話かというと、

地獄と極楽での食事は、

1mくらいあるのかな?

それくらい長い箸を使ってね、食事をするのよ。

んで、地獄では、長い箸で自分の口に食事を運べずに食べられない。

極楽では、

長い箸で食事をとったら、

向かいにいる人に食べさせる。

そして、向かいの人も同じようにして、食べさせてくれる。

こんな漫画。

それが、今日のんに書かれてた。

んで、これを前段としなくてもさ、

まぁ、極楽はいいところ。

地獄は行きたくないイヤなところ。

こんな感じも含めて考えても、

著者が言うにはね、

自分のことのみを考えるのか?

それともお互いに思いやりを持って接するかによって、

極楽にも地獄にもなるとね。

天国と地獄って話ではないから〜

死後の世界というより?

宗教的な?

イメージとか感覚?の極楽と、

イメージとか感覚?での地獄かな〜

まぁね、

極楽も地獄も行ったことないし、わからないんだけど、

温泉浸かって、極楽、極楽♫

嫌なことに遭遇して、地獄だわ〜

こんな言葉を発することはあるかな。

ただ、これらに関してはさ、

自分に良いことってか、

気分がいいっちゅうかさ、

そんな感じの時に、極楽。

自分が困難に立ち向かってると、

また、その最中にいると、地獄。

んで、ある意味〜

腰が痛くて、左足の付け根が痛くて、左足が痺れてる今、

起居動作に時間がかかり、

痛みに耐えながらでの生活・・・

ある意味、地獄かな。笑

こういう使い方よね。

著者の言いたいことはここじゃないね!

未来、これから先、

極楽を感じるには、

今をどう考えどう生きるか?

どう前に進むか?

ここだよね。

お互いに思いやりを持って、

相手のことを、立場を考えて行動する。

つまりはね、

利他の精神だね。

俺だけに関することは、俺を中心に考えてもいいだろう。

しかし、相手があることならば、

相手のことをどれだけ思いやれるか?

相手の時間、立場、思考、環境・・・

などなどね。

大事なことよね!

ちゅうことで、したっけね~

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