〜小林肇の人生哲学〜
プロローグ
「もしあなたの人生哲学を文章にするとしたら?」
そんな問いかけから、このインタビューは始まった。
最初は軽い会話の延長のようなやりとりだった。
けれど話を重ねるうちに、母の死、シングルファーザーとしての覚悟、経営者としての責任――その一つひとつが、深いストーリーとして浮かび上がってきた。
僕はただ質問を投げかけただけだ。
でもHAJIMEさんの言葉は、まるで心の奥に積もっていたものが自然に流れ出すように、力を持っていた。
そしてインタビューは、一人の人間の「生き方の物語」へと変わっていった。
ここから綴るのは、その記録である。
小学5年生の節目
小学校4年生までは分校に通っていた。
5年生から本校に通うことになり、家から学校までの距離はぐんと遠くなった。
分校からの仲間は11人。男7人、女4人。
男はみんなで一緒に登下校した。
その中には、ガキ大将のような子がいて、彼の言うことが決定事項だった。
あるとき、一人の友達が仲間外れにされた。
無視をされ、時にはリンチのような扱いもあった。
僕も流れに逆らえず、加わった。
でもその子は、分校の中で一番家が遠く、毎日一人で登下校するようになった。
それを見ているのが、どうしてもつらかった。
だから、ガキ大将の目を盗んで、こっそり一緒に帰った。
見られていた。
次の日からは、今度は僕が仲間外れになった。
誰も口をきいてくれない。
「すぐにわかった。今度は俺なんだ。」
親にも言わなかった。
登下校と地域の行事さえ我慢すれば済むことだった。
「仲間外れのままでいい」と腹をくくった。
あのとき、僕は状況を受け入れるしかなかった。
けれど、その中で「どう生きるか」を考えるようになった。
それが、僕にとって最初の“考え方の原点”だった。
年月が過ぎ、大人になり、母を亡くしたとき。
あの仲間外れにされていた子が、葬式に来てくれた。
ずっと無視されていたのに、だ。
その姿を見たとき、胸に刻まれた。
「人にどう見られるかよりも、どう行動するかの方が大事だ」
22歳で経験した母の死
母が亡くなったのは、あまりにも突然だった。
前日の夜、電話で話したときは元気だった。
その晩、母は寝たきりの祖母を看病するため、祖母の家に泊まりに行っていた。
翌朝、父からの一本の電話。
「落ち着いて聞けよ……お母さんが死んだ。」
理由は火事だった。放火か、不審火か、今もはっきりしない。
母と祖母は共に命を落とし、残された姿は原形を留めていなかった。
22歳。まだ守られる側だった年齢で、突然突きつけられた理不尽な現実。
ただ、その中で僕の胸に焼き付いたものがある。
――感謝を伝えられるときに、必ず伝えること。
「また今度」「いつかでいい」なんて思っていたら、その日は突然奪われる。
母はその最期で、「感謝は先送りにしてはいけない」と教えてくれた。
息子が1歳のとき、シングルファーザーに
母を失った数年後、僕はもう一つの試練に直面した。
息子がわずか1歳のときに、シングルファーザーとして生きる道を選んだのだ。
オムツもごはんも、まだ自分では何もできない年齢。
夜泣きもある。病気もある。成長のすべてを見守らなければならない。
父親としての責任に加えて、母親の役割も担わなければならなかった。
厳しさの中に優しさを、強さの中に温かさを。
両方を背負うことが、現実だった。
どんなに疲れていても、どんなに辛くても、代わりは誰もいない。
息子の前で背中を見せるのは、自分しかいない。
だからこそ胸に浮かんだ言葉はただひとつ。
――俺しかいない。
それは完全なる責任感だった。
逃げ場がないからこそ、逆に強くなれた。
父であり、母でもある。そんな覚悟が僕を育ててくれた。
経営者としての「俺しかいない」
さらに後に、会社の代表取締役を任されることになった。
これは父としての「俺しかいない」とは少し違った。
オーナーから任され、外から与えられた立場。
正直に言えば、望んだわけではなかった。
それでも一歩踏み出した瞬間に思った。
「誰かがやらなければ、従業員が困る。利用者が困る。」
結局ここでも答えは同じだった。
ならば自分がやるしかない。
父としても、母としても、経営者としても。
僕の根っこにあるのは「俺しかいない」という責任感だ。
人のために生きることで、自分も生かされる
小5のときに味わった仲間外れ。
22歳で母を失った理不尽さ。
1歳の息子を抱えてシングルファーザーになった責任。
経営者として託された重み。
そのすべてを通じて僕が気づいたのは、
人のために動くことで、自分も生きる力を得られるということだった。
従業員のため、利用者のため、息子のため。
その「人のため」の積み重ねが、逆に自分を強くし、生かしてきた。
けれど、人のために動くときに必要なのは、ただの「勢い」や「善意」だけじゃない。
大事なのは、どう考えるか、ということだ。
僕が大切にしている言葉に「諦める(=明らめる)」がある。
これは「投げ出す」という意味じゃなくて、「明らかに認める」という意味だ。
現実をそのまま受け止めて、認める。
そのうえで考える。
過去に縛られるんじゃなく、未来を見て、前を向く。
「明らめる」ことで、ようやく正しく考えることができる。
そして、考えたなら必ず行動する。
考えるだけで終われば机上の空論だし、行動だけならただの暴走だ。
考えと行動、その両輪が揃ってこそ、人のためになり、自分を生かすことができる。
哲学としての一言
小学5年生、仲間外れを受け入れたあの日から――
僕の考え方は、ずっと同じ線の上にある。
だからこそ、僕の人生哲学は一言で表せる。
「考えて行動する。」
考えるとは、“明らめられることから始まる”。
現実を認め、未来を見据え、今を選び取ること。
そして行動に移すこと。
たとえ仲間外れになっても。
たとえ背負うものが重くても。
その積み重ねが、感謝を形にし、責任を果たし、人のためになり、最後には自分を生かす。
これが、僕の人生哲学だ。
結びに
この哲学は、僕自身の人生を支えてきただけじゃない。
今、介護や福祉の世界で、新規開業の支援や運営のサポートをする中でも、生き続けている。
母の死から学んだ「感謝」
シングルファーザーとしての「俺しかいない」
経営者としての「人のために」
それらを全部、現場に持ち込んでいる。
僕は特別な人間じゃない。
ただ、人生の節目で「考えて行動する」ことを続けてきただけだ。
だからこそ、同じように悩む人に寄り添える。
そして、共に次の一歩を踏み出すお手伝いができる。
感謝と責任を土台に、「考えて行動する」。
これが僕の人生哲学であり、同時に、あなたの背中を押す力になればと願っている。
〜シングルファーザーで経営者でもあった人生の哲学〜