お知らせ

常識を疑う(稲盛和夫一日一言より)

これな〜!!!

今までの常識は、

今後も常識なのか?

非常識なのか?

非常識って言葉だと、なんかアレだね〜笑

著者の言うように、

固定観念に縛られるのは良くないかもね!

たとえばさ、

具体例が思いつかないんだけど〜

医療・介護・福祉業界では常識とされているけれど、

これらの業界の独特?の常識にそまり過ぎて〜

新しい発想が出てこない!

なんてことはない?

営業なんか、まさにそうかな〜

パンフレットとかもそうだし〜

どこも似たりよったり・・・

病院のソーシャルさんに営業に行くときに、

その病院の患者さんと同じように、

受付窓口に並ぶ・・・

なぜ?

受診するの?

とかね。笑

えっ、じゃあ、どうやるの?

ここがさ、

何が常識で〜とか、

その常識をしないと非常識で、

それは非常識な行動になるのか?

常識になり得るのか?

こんな感じでの仕事の楽しみ方!

わかる人にはわかるだろうなぁ!

常識を疑うには、

どうしたらいいか?

シンプルに疑問を持つ!

これに尽きるんだけど〜

疑問すら持たない、持てない人もいる。

なぜ疑問に思わないのか?

それでいい!

それがいい!

それしかない!

と、思い込んでしまっているんだろうなぁ。

もしくは、

普段やってることだから、

あたりまえのことをしているという意識からかなぁ

基準とかにしてもさ、

こう書いてるから、これしかない!

のではなく、

こう書いてるから、あれもできる!

なのか!

ここがね、解釈よね〜

逆にね、

これについて書かれてないから、これはできるね!

とかさ〜

んで、その解釈がズレてないかを確認する。

確認して、解釈が成り立てば、

それは正当性のある解釈となる。

ただ、この確認をね、

しない場合というか、人というか〜

が、いる。

確認をしないことで、どうなるか?

特に、書いてないからできるという解釈の場合、

そこに書いてないだけで、

他に書いてあったり、

他のところに係わっていたりする。

そこを見落としてしまうことになると〜

都合の良い解釈となり〜

アウト!

ってことが起こり得る。

んでさ、

ここまで書いてふと思う。

常識を知らないとさ、

まず疑わないよな〜

常識を知ることが先だよね〜

じゃ、常識ってのを、

再認識する行動が必要だよね〜

という思考がね、

俺の頭を回りだしたわ〜

俺にとっての常識が、

あなたにとっての常識とは限らない・・・

個別的な話だからか?

じゃ、仕事の仕方。

これも、俺の仕事の仕方が常識か?

あなたにとっては違うかも。

しかし!

広く一般的にって言葉を使って考えると〜

おもしろい!

おもしろいと思わない!?

だから・・・

だからってわけではないか?

まぁ、これはいい。

俺が変わり者と言われるのは、

常識にとらわれてないところがあるからかな〜

常識を疑うってわけじゃないんだけど、

他にも方法ないの?

って考えるのは好き!

頭の中でさ、

一つの言葉からね、

いろいろ連想しちゃってさ、

その連想っていうか、一緒に考えたものも含めてものごとを考えるとさ、

常識の幅が広がっちゃって?

常識を疑うまでいかないかもしれない・・・

あるものを考えるとき、

そのものだけに集中すると、

常識と思われるものの範囲外の発想がしやすいんじゃないかな?

って思ったよ〜

どうだべ?

まぁ、人それぞれなんだけどさ、

どんな仕事をしたいか?

どんな成果をあげたいか?

今までのやり方が常識で、

その常識で成果に繋がらないのなら、

その常識は疑うだろうね!

てか、こういう感じで考えてね、

仕事に取り組んでいるって人は、

どのくらいいるんだろうね?

組織の2割3割くらいかもね〜

しらんけどさ。

ちゅうことで、したっけね〜

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