例えば、幸せってことで考えてみて、裕福だと幸せ?
貧乏だと不幸せ?
貧乏よりは、裕福な方がいいとは思う。
でも、裕福だから幸せとは限らないよね?
裕福でも、不幸せな人はいる、と思う。
その逆で、貧乏でも幸せな人はいると思う。
そして本題。
裕福だからといって、悪人がいるとは言わないけれど、裕福がために、卑しい心が出てしまう人も少なからずいると思う。
違うかな?
そして、貧乏であっても、貧乏がゆえに、僻み妬みで、卑しい心を持ってしまう人がいる。
要は、いろんな人がいるんだけど。
この自助論の言葉は、俺はよくわかんないな。笑
悪人に、裕福も貧乏も関係ないし。
同じく、善人に、裕福も貧乏も関係ない。
だから、まぁ、最初に幸か不幸かって部分から書き始めたんだけど。
少なくとも、幸せに感じてたら、悪人にはならないのかな?
って。
でも、魔が差すって言葉もあるし、そういう状況にもなってしまうのか?
もし、あなたの目の前に、10万円が落ちていました。
周りには、全く人っ気がありません。
そもそも、かなりの山奥にいるので、民家すらない状況です。
もちろん、監視カメラもありません。
あなたは、その目の前に落ちている10万円、どうしますか?
裕福な善人なら、間違いなく、警察に届けるんじゃないかな?
裕福な悪人なら、どうだろう?
貧乏な善人なら?
善人なら、魔が差すってことはない?
拾ったお金を、自分のものにするのは、悪だよね?
書いていて、わからんくなってきた!笑
結論はさ、裕福とか貧乏とか関係なしに、善人であるのがいいんだけど。
じゃ、善人って何だ?
善良な人、行いの正しい人。
うん、そうだね。
それと・・・
お人よし、騙されやすい人。
これも、善人なんだね。
この自助論の言葉は、どっちの意味だ?
悪人よりは、騙されやすい方がいい?
でも、騙されたら、どんな気持ちになるだろう?
貧乏で騙されたら?
ん~・・・
わからない。
行き詰った!
考えるの、やぁめた!笑
でもそうだな〜。
俺個人は、貧乏でも、穏やかに過ごせたら、それがいいかなぁ!
したっけ、じゃ!