価値観とするもの。
著者は、
公正、公平、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実だと。
昨日のブログの続きみたいな感じよね。
人間として正しいこと。
人として正しいことの追求。
ここを追求するところに、価値観がある。
よく、価値観が合わないとかってあるけどさ〜
価値観ってのをね、揃えてから話し合ってみるとさ、
おもしろいかもね!
感情でなく、
価値観の内容で話し合う。
そうしたら、口論とか喧嘩とかにはならないのかな?
てか、なるはず無いんだよね。
喧嘩とかになっちゃうのは〜
いつも感情の部分でない?
価値観が違うから、喧嘩するんでなくて〜
価値観が違うところがあるのはあたりまえだと認識して〜
価値観を認め合う。
相手のことを、受け止める。
ただし!
人としての正しさを判断基準にして、
人として正しいことをしていない人とね、
価値観が合わないことがあるのは、さらにあたりまえ!
そもそもが合わない!
相手の価値観を受け止められるか?
ここができないなら、いずれ衝突することはあるかもね。
ただ、人として正しいことの追求をしていても、
みんながみんな同じになるとは限らないからね。
言葉は悪いけれど〜
言葉?たとえ?かな。
泥棒の親に育てられた子供はさ、
泥棒の生き方を学びながら育つ。
するとね、
立派な泥棒になるための努力をすることもあるんだよね。
泥棒をするためのテクニックや技術を磨くんだわ。
しかし、泥棒の環境で育っちまうと〜
その環境が、その子にとっては正しい環境であり〜
人としての生き方でもある。
年齢を重ねるごとにね、
生きていく世界、生きていく社会の範囲が広がり〜
泥棒以外の人たちの世界や社会に入ると・・・
新たに気づく・・・
ここで、気づいたことを修正していくのか?
気づかないふりをするのか?
気づかないふりをすることで、それでも生きていけるなら〜
気づかないことで、修正する努力からは免れる。
これでは、成長しない。
・・・
伝わるかな?
あえて、泥棒っていうね、
子供でもわかるたとえを使ってみたんだけどさ。笑
たとえ方が悪いよな。笑
どうも俺のたとえは、下品よね。
ヤクザとかチンピラとか、
喧嘩とか泥棒とか。
これがね、
わかりやすい!っていう人もいれば〜
その世界のことを知らないから、わからないって人もいる。
わかろうとしてくれる人もいれば〜
わからないものとして、そこで止まる人もいる。
俺は〜
わからないことがあっても、
わかろうとする姿勢は持っていたいかな。
なぜならば!
俺は未熟者だからね。
いろんなことを体験し、経験に変えていかねば。
んで、体験には限度があるからね、
いろんな情報からも、経験に変えていくことをしないと・・・
俺は経験で、今まで成長してきたからね。
ただ、まだまだ未熟で。
早く人格者になりたぁい!
早く人間になりたぁい!じゃねぇよ。笑
これ、このアニメ知ってる?
まぁいい。
ちゅうことで、したっけね〜