いろいろな判断基準ってあるよね?
そして、もってるよね?
その判断基準、何か根拠となるものがある?
その時その時の感覚ってのも大事だろうけれど・・・
これだと、ブレッブレになりかねないよね?
感情や気持ちで判断していく・・・
これもありっちゃぁありだろうけれど、
他人が関わらないところでならいいかな。
世の中で、社会の一員として生きていくのであれば、
判断基準の根拠は、明確な方がいい。
そう思うっしょ?
俺の場合は、基本的なのは~
著者も書いているけれど、
今まで生きてきたなかで学んできた「していいこと、して悪いこと」
そして、それらの根拠があたりまえであること。
定められたルールや、事実に基づくもの。
まずさ、このブログを読んでくださっている方々の多くは、
介護サービス事業所・・・
介護関係の人だと思うけれど、
事業をするうえで、働いていくうえで、
いろんな場面で判断することがあるよね。
まぁ、判断して、決断するから行動ってなると思うけれど。
その判断と決断を、しっかり考える場合と、
反射神経的に、瞬時に判断して決断しての行動もあるね。
この瞬時にってのは、日常であたりまえにしてることだと思うんだ。
あとは、窮地とかね。
それではなくて、何かを判断しなきゃならないとき・・・
どうしてる?
今までに学んだことや経験したことから判断する場合と、
新たに判断しなきゃならないことって、あるもんね?
まぁ、運営に関して言えば、
経験だけってのは、危険というか、心もとないかな。
そういう人もいるだろうけどさ。
経験だけだと、新しい情報をアップデートする時にどうしているか?
これが大事になってくる。
誰かに聞いた。
誰かから教わる。
これも決して間違いではないし、
時短とか効率化っていう観点から考えると、
悪くはない。
ただ、このときに、
自分の目で確かめるってのは、取り入れた方がいいかな~
今年、令和6年はさ、
介護報酬、診療報酬改定があってさ、
基準や解釈、さまざま出されてきているよね。
それを、読むか読まないか?
一度は、読むことをお勧めするよ!
俺の発信をね、まんま信じてくれるのも嬉しいけどさ。
俺も決して100%完ぺきとは言えない。
なぜならば、日本語の難しさがあるから。笑
受け取りと解釈は、人によって若干違うときがある。
若干どころか、大きく異なることもある。
なんでだべね~笑
んで、タイトルにあるように、
判断基準の原点ってことで考えてみようか?
事業の場合は、俺は法令等だと思うんだよ。
基準や解釈の省令とか告示とか、そして条例とかね。
んで、なぜこれらを判断基準の原点とするか?
書かなくてもわかるよね!
んで、子供の頃を思い出してみてほしいんだけどさ。
いろんな判断基準を、誰から、何から学んだ?
まずは、親だと思う。
そして、学校の先生だったり。
そして、学校でいえば、教科書をもとに学んできてさ、
道徳とかも、教科書あったじゃん。
そこで学んできたことがね、
いろいろな判断基準になってると思うのよ。
俺はいまだに覚えてる道徳の授業があってさ。
無鉄砲旅行ってやつ。笑
計画も持たずに、思うまんま出かけちゃうってやつ。
詳しい内容までは覚えていないけれど、無鉄砲な旅行なんだよ。笑
計画性がない。
迷惑をかける。
そんな感じ。
んで、こういう学んだことがさ、判断基準のもとになっているのは、誰しもあると思う。
そして、今の生活や環境においてさ、
いろいろ判断せねばならないときに、どうするか?
何を根拠に、何をもとに判断するか?
その判断基準を、アップデートしているか?
これらはすごく大事だと思うんだよね。
アップデートしないとさ、時代に取り残されちゃう。笑
それだけじゃなく、誰かに迷惑かけちゃうかもだもんね。
「していいこと」と「してはいけないこと」という判断基準。
「する必要があること」と「必要性のないもの」
「することによりメリットがあるもの」と「ないもの」
「誰かの役に立つこと」
「迷惑になる・ならない」
・・・
いろんな判断基準がある。
その原点は・・・
一言で言えば、良い悪いが判断するときのもとになるのかな~
悪いことを選択って、最初からはなかなかしないもんね?
良いこと・・・
なぜ良いのか・・・
って感じで、判断の掘り下げをしていく・・・
・・・ん~
ちゅうことで!
今日のブログは~
今日も~だな!
なんか、ダメダメだね。笑
言葉が降りてくるのを書く・・・
ある意味、無鉄砲。笑
でも、個人の問題だから、これは良し!
っていうね、
俺を甘やかす・・・
俺のこういう部分を許す・・・
これも大事かなぁ!
なんてな!
したっけね~