お知らせ

偶然でき上がる偉大な芸術などない(自助論より)

偶然にね、何かを成し遂げることはある。

偶然に何かができ上がることはある。

偉大な芸術・・・

芸術って、なんだろうね?

すぐに思い浮かぶのは、絵とかオブジェみたいの。

だけど?

特定の材料等によって、美を追求・表現しようとする人間の行動・・・

だって。

俺がイメージしたものは、芸術品の方になるのかな。

そして、もう一つの意味が~

学芸と技術。

学芸・・・

学問と技術。

ん~、こっちの意味で考えるとわかりやすいかもね。

うん、偶然にできたとしたら、偉大とはならないかもね。

なったとしても、単なるラッキーってやつかなぁ。

たださ、偶然であったとしても、

何かができ上がるということは、そこに向かって進んでいたと考えることができる。

もう一つは、何か他の別のことをやっていて、

そこから、ほんとに偶然にでき上がってしまった・・・

こともあるかもしれない。

ただ、偉大なって部分だよね。

んでさ、

ここの部分で話をするとさ、

必ずしも、偉大な芸術かどうかっていう部分は、

間違いなく賛否出てくると思うんだよね。

だから、他の側面で考えてみようかと。

偉大な・・・は、とにかく置いといて~

ここは考えない。笑

あくまでも、何かが完成したとか、達成したと考えてみるよ。

んで、ここで大事なのは、

偶然・・・

ここだね。

偶然っていうのは、ん~、ほんとに偶然かなぁ?

ってね。

目的に向かっていれば、ひょんなことで偶然にってのはあり得るね。

そして、他の事ってのも、前半で書いているけどさ。

俺は~

どっちも偶然っていう言葉が妥当なだけであって、

たまたまではないのかなぁって。

そうなるように行動していた結果の一つだと思ってるんだよ。

つまり、目的や目標を見失っていないってことね。

直接の行動でも、他の行動でも、

頭のどこかで考えている。

だからこそ、でき上がったことに気づけた。

この気づけたってのが大事で、

気づけるってことは、

そこに意識が向いていたから、だと思うんだよね。

ほんとに他のことを真剣に取り組んでいたら、

そこにヒントとかあったとしても、まず気づかない。

なぜならば、今はそこに向かっているわけじゃないから。

そして、そこに向かう行動をしていても、

目的等を理解して行動していなければ、

こっちの場合も、まず気が付かない。

でき上がったと、自分で気づけている場合、

それは、偶然ではない。

そうなるように、思考と行動がそっちに向かっていただけ。

意識をしていないことで、偶然という言葉を用いたに過ぎない。

だから、偶然であっても、

なぜそれができ上がったか、

ここを考える必要があるよね。

んで、なかなか話がまとめられそうにないから~

強引にもってくけど。笑

偶然にでき上がること。

それは、偶然という言葉を使ってはいるが、そうなるように行動してきた結果。

この偶然を偶然で片付けず、

なぜそうなったのかを考えることが重要。

そうしていくうちに、偉大なものになっていくかもしれない。

偉大に関しては、触れられない!笑

ちゅうことで、もやもやした内容だけど、

終わり!

したっけね~!

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