ん〜、なになに〜
人生には、運命という縦軸があり、
横軸に、因果応報。
運命を決める因果応報として、
善因には善果。
悪因には悪果。
なるほどね〜
そうだよね〜
んで、ここでね、考え方ってのを見直ささるね。
悪い結果が出た・・・
人によっては、運が悪かった、と。
じゃなぜ、運が悪かったのか?
悪因がある・・・
ん〜
誰の言葉か忘れちゃったけど、
努力は一生。
本番は一回。
チャンスは一瞬。
まさにこのとおりだと、俺は思うんだけどさ。
悪果が出たということはさ、
本番の結果だよね?
ちゅうことはさ、
その本番を迎えるまでの努力・・・
準備と言えるかな〜
それが足らなかった。
不十分だった。
だから、悪果になった。
んで、その悪果が出たときに〜
運が悪かった・・・
これで片付けてしまうと、
一瞬のチャンスを逃す。
ここで、気づけるかどうか?
場合によっちゃ、改めることができるかどうか?
ここよね!
なぜその結果になったのか?
どんな結果を望んでいるのか?
ここはね、思考のクセ?によると思うんだよね。
んで、ちょっとね、サラリーマン金太郎のお話の中からね、
おもしろいのがあるんだけど〜
例えば、家を建てるということになったとき、
家を建ててから、あとから設計図を作るのか?
設計図を作ってから、家を建てるのか?
あなたはどっち?
俺は、前者。
頭のなかで、ある程度の完成図を描いて、家を建て始める。
建ててから、必要であれば〜なんだけど、
工程を、設計図を作ることができる。
これが、設計図を書いてから〜だと。
言い方変えると、答えを先に示して、
それをあとから証明していくっちゅうんかな。
んで、大事なのは〜
行動までに、どれだけ時間がかかるか?
最初の話・・・
準備というものを、設計図と考えるならば、
この話に矛盾を感じるだろうね!
ただ、準備っちゅうもんを、
頭のなかで、完成図を描く。
これを準備とするならば、矛盾はない。
つまりね、
人間としてね、
社会で生きていくには〜
本来必要なんは、前者・・・
すなわち、家を建ててから、設計図が書ける。
こっちだと俺は思うんだよね。
となると〜
横軸の因果応報ってのがさ、
次から次へと訪れる。
設計図が先だと?
因果応報・・・
体験、経験の数は少なくなり〜
横軸が密ではなくなる。
どっちの生き方でも、
どっちの考え方でも、
正解はないと思う。
ただ、何をもって正解と考えるか?
正解ってのをね、
自分のなかで定義付けできているか?
あなたの正解は何なのか?
これを定義している?
正解の話、昨日のインスタ投稿でしてたね〜笑
んで、これ・・・成功の定義があるだけで、
因果応報・・・善因か?悪因か?
正解をどう考えるかで、
全て変わってくるよね!
そう思わない?
今日のんは・・・
文字で伝えるのが難しいな・・・
言葉にして、俺の言葉で伝えたいな。
知りたい、聞きたいって人がいればっちゅう話でもあるけれど。笑
俺が勝手にね、どこかの誰かが俺のブログを読んでくれていて〜
そのどこかの誰かのなにかの役に立つのかも〜という気持ちでね、
勝手に伝えるということをしているわけで〜
俺のブログ・・・
どこかの誰かの何かのお役に立ててるのかな?
ってね、
ここは考えなくてもいいね!
なぜならば〜
これをするにあたってもね、
勝手に俺はペルソナを作ってね、
そこに向かって書いてるようなもんだからね!
俺なりのビジネス戦略。
俺なりのマーケティング。
俺なりのブランディング。
俺なりのプロモーション。
これを見て、
俺を不器用だと言う人が多くいる。
不器用でもいい!
経験を生かし、
考え、行動しているから!
俺の横軸を理解しているから、
因果応報というものとは気づいてなかったけれど〜
俺の人生の横軸として、
この考えて行動する。
考えながら行動する。
行動ありきの考え方。
ここが最も重要なところだからね。
俺の人生だし!
俺の時間だし!
時間の積み重ねだし!
ちゅうことで、こんなとこでいっか!
したっけね〜