ん〜!!!
なにかに向かって鍛錬し続けていると、
世間のほうが気づいてくれる。
着目してくれる。
こういうことだよね?
たぶん、多くの人は、これが身近な世間・・・
こうなると思う。
その身近な世間が、広く大きくなるかどうか?
なってもいいし、ならなくてもいい、と思う。
それぞれの考え方。
ただ、鍛錬していることが、広くたくさんのなにかに貢献したり、役に立ったり、良い影響があるものならば〜
身近な世間に、留まっている必要はないかもしれない。
しかし、そこには個人での力量に限界はあるだろうけど。
となると、同志を集い、集団として鍛錬をし続ける。
行動じゃなくて、鍛錬ってのがいいね!
鍛錬と言えるほどのことをするか?しないか?
これをするには、自分の甘さや弱さとの戦いがあるだろうね。
やるかやらないか?
その選択に迫られたとき、
やらないを選択するのは、簡単でラク。
やるを選択したら、その先がある。
その先に続いていくからね。
やることを決めたら、まず何をする?
考え方によるだろうけど、
まず、何のためにやるのかを強く認識するのは、欠かせないかなって。
そして、いつまでにとか、どこまでとかの目標を決める。
目標を達成するための手段を、方法を考える。
考えたら、行動に移す。
だいたい、こんな感じかな。
じゃ、鍛錬するには?
まずは、継続することかな〜
継続すらしなくなるってことも、あり得るからね。
やることがあたりまえなら、そのあたりまえをやり続ける。
これをするときに、調子がいいとか悪いとか、
気分がのるとかのらないとか、
やる気があるとか、出ないとか。
まぁ、いろいろ精神や身体面で、やることを甘やかすことが出てくる。
んでさ、乗り気じゃないとか、調子が悪いとかってとき〜
そんなときこそ、強引にでも、真剣に全力で向かっていく。
俺は、ここに差が出てくると思うんだよね。
なぜならば、やる気がなくても、
真剣にやってるうちに、
全力で取り組んでいるうちに、
やる気云々どうでも良くなってたってこと、経験あるんでない?
真剣に、全力でなくても、
行動し始めたら、ノッてきた!
そんな経験は、一度はあるんでない?
つまりは、のるとかのらないとか、感情が邪魔をしてただけ。
感情を優先せず、やると決めたらやる。
やるという事実、感情以外の部分で行動したらどうなるか?
どんな仕事かによるかもしれないけれど、
イヤイヤやる。
めんどくさそうにやる。
これは、相手がいたら、失礼極まりないもんね?
だから、やることをやる。
あたりまえに、やる。
あたりまえに、継続する。
この継続によって、自分の意図していない・・・
自分の想定してた範囲外に影響が出てることもある。
そうなると、やはりそれが良い影響であるならば、
世間がほっとかないもんね?
まぁ、逆に、悪い影響も世間はほっとかないけど。笑
ただ、悪い影響を与えるために鍛錬する人は〜
いないよね?
それこそ、相当の変わり者だろうし、本物の変態かもね。笑
んで、鍛錬するときには、
やっぱり欠かせないのが、自分軸と相手軸の時間の使い方。
これも、あると思う。
どう時間を使うか?
どう鍛錬するか?
関わってくるもんだしね。
んで最後に、なにか一つでも、
俺は、私は、これを頑張ってる!
これを鍛えてる!
訓練してる!
そう言えるものが、一つでもあると、自信にも繋がると思うんだよね。
そういうもん、ある?
ちゅうことで〜
したっけね!