お知らせ

不遇の時代を耐え抜く(自助論より)

不遇とは?

才能を持ちながらも、めぐりあわせが悪くて世間に認められないこと。

時世にめぐまれないために出世できないこと。

運が悪くて、才能・人物にふさわしい地位・境遇を得ていないこと。

こういう意味だね。

その時代・・・その時期を耐え抜くってことなんだけど。

ん~、これは、周囲の人の評価って考えた方が、自分の為かな~

って、思うな。

自分自身でね、もしこのように思っていたら、

それは、勘違いをしてしまっているというか・・・

まだ若いんだなぁっていうか・・・

努力を、努力の域までやってなくて、あまえてんじゃないのかなぁって。

だから、そんな風に思うな!

とうのも、

確かに、時世や環境、めぐりあわせはあるかもしれないけれど、

時世は仕方ない部分として、

環境やめぐりあわせに関しては、

自分で作ってきた、自分からその状態に身を置いたということも考えられるよね。

そうではない場合もあるかもしれないけどさ。

それに、運が悪い・・・

確かに、運が悪いなぁって思うことはあるけれど、

それも・・・

そのタイミングも、結局は自分自身がね、

判断して、決断して、今の状況にあると思うんだよ。

身内の不幸・・・

自然災害による影響・・・

不慮の事故・・・

自然災害については、俺は幸いにして、大きな自然災害に見舞われた経験はないけれど・・・

言葉は適切じゃないかもしれないけど・・・

そのうえで、不幸や災害、事故等があったとしても、

それは、一時期のもの・・・

ずっと続くわけじゃない。

そして、次に、

職場がね、

職場によって・・・

地位や境遇を得ていないというのならば、

それは、運が悪いのか?

もし、自分自身でね、運が悪いから・・・

と思うのであれば、運をよくするためにどう生きるか?

耐え抜く・・・

その状況を認めて、その時期を過ごし続けていく。

これを自助論では、言ってるんだと思う。

その間、地位や境遇を得られるように努力していくことが重要。

こういうことを言ってるんだと思う。

しかし、自分自身で不遇だと思ってしまった場合。

不遇と思うか、努力が足りないと思うかの違いだと思うけど、

不遇と思うなら、

耐えていけないなら、

そう思わない環境に、変えていけばいい。

つまりは転職だね。

ただ!

自分自身を過信しての不遇だと思っているのなら、

転職しても同じ繰り返しだろうけどね。

どっかで意識を変えないと。

自分は仕事ができる。

素質がある。

才能がある。

そう思うのは、良いことだと思う!

ただ、それで努力をしなくなることがある。

もしくは、努力といえない努力で勘違いしていることがある。

それは、20代30代、若ければ若いほど起こり得る。

俺は、勘違いしたタイプ。笑

自身が努力しているって思ってる時って、意外と努力が足りてないと思う。笑

言い換えると、努力にもなってない。笑

そう思うことができるだけ、余裕がある状態なんだよね。

俺自身の経験からね。笑

本当に努力しているときって、そんなこと考えてるヒマはないと思う。

目的や目標に向かって、

結果が出るまで、向かっているからね。

結果が出ていないのであれば、どうやったら結果が出るんだ?

どうやったら認められるんだ?

ってね。

自信を持つのは大事だけど、過信はいけない。

そして、もしそうではなくて、

そうではないのに、不遇だと思うのならば、

それは・・・

耐え忍ぶ時期だという認識で行動したらいい。

ちゅうことかなぁってね。

俺は今日のタイトルから、こう感じたよ。

ちゅうことで、したっけね~!

一覧を見る

pagetop