自分は行動しないのに、行動している人に対して、なんやかんや言う人っているよね。
批評ばかりする人・・・
評論家気取りなのかな?
行動していての意見や考えを言うならいいけど、行動していない。
んで、行動してから言ってほしいって意見を言うと、大概、行動していると返してくる。
そう、論点?がズレた行動。
批評してきたこととは関係ない、その人において重要視している行動。
こういう人っているよね?
もし、自分自身がこれに当てはまっていると思うところがあるなら、やめた方がいいと思う。
でも、自分で気づけないか・・・
まぁ、勝手に批評するのはいいけど、それって何の生産性もない行動だよね。
そして、評論家気取りの人は、どこまでその人や物事に対して知っているのだろうか?
そもそも評論家っていうのも、あいまいな存在だよね?
だから、中途半端な人でも評論家風になっちゃうのかな?
例えば、俺も中途半端な面はあるけど・・・俺は一つのことでも相当深く考えている。
何かをするにしても、根拠がどこにあって、どう解釈して、だからこうなるってね。
行動するための手段、方法を考える。
これを行動しながら考える。
反射神経のように、まず行動する根拠があったら行動に移す。
行動しながら、周りの状況等に合わせて、反射神経のように根拠からの解釈をつなぎ合わせていく。
伝わるかな?
そしてその行動は、知識や経験からの知恵、俺は知恵の部分が多い。
だから、他の人と少し違った発想や変わり者だって言われるのかもしれない。
物事には必ず結果がついてまわるから、その結果を出すためにいろんな手段を持っているし考える。
一つや二つの手段ではない。
結果を出すためには、手段は何通りもあるからね。
で、だいたいこの評論家気取りさんは、目の前の狭い視野の結果を見て物事を言ってくるけど、手段のことについては批判しかしてこない。
うまくいかなかった手段のことをね。
このときも、手段が間違ってるというような評価をして、なぜその手段になったかまでは批評してこない。
そう思わない?
まぁ、これも俺の勝手な言い分だから、あんたも評論家風だよって言われるかもしれないけど。笑
ただね、何かに対して批評する時は、視野や視点が大事かなって思う。
どれだけ広い視野で、その物事を見ているか。
違うかな?
っちゅうことで、したっけ、じゃ!