お知らせ

ひたすら善意に(稲盛和夫一日一言より)

ひたすら善意に、

物事を良い方に解釈する。

まぁ、これは大事なことね!

ただ~

こればっかりじゃダメだと思うんだけど~

善意での解釈ができて初めて、善意でない解釈もするっていうのが、

俺は、これをしないとダメだとする考えなんだけどね。

んで、まずね、善意で受け止める、解釈する・・・

これはね、訓練が必要ね!

でもね、比較的簡単に訓練できる!

では、どうするか?

相手が、悪意を持って攻撃・口撃してきた・・・

意地悪なことをしてきた・・・

陥れようとしてきた・・・

内容には寄るんだけれど~

ふ~んって感じで受け止めたらいい。

もちろんね、気持ち的には嫌な気持ちにはなるよ。

でもさ~

そういう人なんだ・・・ふぅん。

これでいい!

そのうえで、ニコニコすることを心掛ける。

相手は、俺のことを見下してのことだと思うんだけど、

俺の思考はね、相手に事実を受け入れている感じ。

そういうタイプの人なんだ・・・

きっと、大声をあげたり、威嚇することでしか、自分の立場とか守れない人なんだ・・・

子供から大人へ成長できないでいる人なんだ。

もしかしたら、人の形をした何かなのかもしれない。

これはひどいか?笑

でも、これぐらいの感じで受け止めたらいい。

ただこれがね、俺と関係する他の人のことに対してのものでね、

人としてあっちゃならないものであれば、

その時はそれに応じた対処をすりゃいい。

ただ、それも疲れるだけだからね・・・

そういうタイプのね、

言葉は悪いけれど~

人として何か欠落したおかしな人がいるって認識でいた方がいい。

そこに注視したり、注力する時間。

自分の人生の時間をね、

言葉悪いんだけど~

そんな何か人として欠落してる人の為にね、

人生の時間を費やすのは無駄だよ。笑

相手がね、年齢がいっていればいるほどね、

成長できていない人なわけだよ。

わざわざ自分の積み上げてきた徳のレベルをね、

そういう人に合わせる必要ないよ。

自ら、レベルを下げなくていい!

っていうかね、相手にしないとね、ちゃんとそういう人は勝手に離れていくから!

そういうもんだよ。

だからね、ひたすら善意にってあるけれど~

悪意に悪意を感じるのではなく、

悪意に善意というか・・・

そういうことを言う人、

そういうことをする人。

そういう事実があったということだけでね、

そういう人がいつの時代もいるんだなってね、

ほっとけばいい!

相手にするとね、さらにそういう人はかまってくるから!

ほっとく!

相手にしない!

関わらない!

むしろ、無いものとして扱うというか~

そういう事実はあったけれど、

相手にしなきゃ気にする必要がない。

しかし、悶々としてしまう・・・

その時間、あなたの人生の時間・・・

その悶々でね、人生の時間を費やすことをどう考えるか?

俺だったら、楽しいことをしていた方がいいかな~

どうしても忘れられず、悶々が頭や気持ちから離れないのなら~

俺は、釣りをする!

もしくは、釣り道具をいじる!

好きなことして、楽しい時間に変えてしまう!

釣りをする気にもなれない。

ならば、違う楽しいことをする!

YouTubeで、漫才とかお笑いを見る!

とかもするかな!

まぁ、嫌な事をされたりしてね、

なかなか気持ちの切り替えができない・・・

でも、気持ちも、思考も、行動もね、

一番手っ取り早いのは、距離を置くことなんよ。

同じ土俵には上がらない。

そこから逃げる!

逃げるのは嫌?

この逃げるってのは、避けるって意味ね!

相手にしないことをする。

笑い飛ばして逃げる。

それでも突っかかってきたら、ひたすら無視する!

今日のタイトルと、かなり内容が違ってきているかもしれないけれど~

善意ということで考えればね、

悪意を持って意地悪なことをしてくる人に対してね、

そういう人だと受け止めて、それ以上関わらないのが善意だと思う。

その人に、わかってもらう・・・

あなたのしていることは、低レベルで民度が低い愚かな行為だと知ってもらうために。

そして、そんなことをするのを卒業したほうがいいと思うよっていう善意かな~

・・・ほんとね、くだらないのよ、その時間。

って感じで書いてきたけれどね、

俺も若い頃はなかなかできなかったし~

今も意識しないとね、

相手に合わせてしまう事もある。

そういう時にね・・・

後からさ~

なんて無駄な時間を過ごしてしまったんだ・・・

・・・とね。

取り返せない時間・・・

時間損した~!!!

ってなっちゃうことがある。

世の中にはね、

残念な話なんだけど~

自己中で、理不尽で、イカれたDQNは一部にいる・・・

一定数の割合でいるのかもしれない。

こういうのがいることで、世の中が形成されているのかもしれない。

それはわからない。

しかし、そういうDQNでも、その人なりに人生を積み重ねているし、人生を送れている。

どんな人生かは知らんけどね。

つまりは、どんな人であってもね、

その人の周りには、小さな社会が存在しているんだよね。

その社会どうしがね、

ぶつかるのはよくないし~

協力や協調があればいいんだけれど~

すべてがそういうことも難しい。

ならば、合わない人、異なる社会で生きている人・・・

距離を置く。

関わらない。

これもまた、ある意味・・・大きなくくりでは善意となるのかなってね。

なんかまとめるのが難しいや!

ちゅうことで、おしまい。

したっけね~

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