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『小学5年物語』エピローグからの派生 ― 育児物語

2025.09.14


育児物語エピローグから考える、孤立と行動の原点

今回はHAJIMEさんに育児時代について詳しくお話を伺い、その言葉を整理して記事にまとめました。
遡って振り返ると、確かにここまでの歩みがあったのです。

小学5年で芽生えた自我と孤独が“考える習慣”を生み出したように、父子家庭として始まった育児時代もまた、思考と行動の原点となりました。頼れる人がいない状況で、どう考え、どう動くか――その実体験が刻まれた時間だったのです。


シングルファーザーの始まり

営業の合間にふと家へ寄った昼下がり。泣きじゃくる息子と、焼酎の大瓶を抱えて酔いつぶれている妻の姿。
この光景が、シングルファーザーとしての人生の始まりでした。

「怒りと決意、その後に不安。そして最後に“守らなきゃ”という気持ちでした」
とHAJIMEさんは振り返ります。

思い当たる節もあり、話し合った末「俺が育てる」と決断。相手もその親も理解し、離婚。そして父と子の二人三脚が始まったのです。


制度の冷たさと孤立

最初に直面したのは制度の冷たさでした。
母子家庭ではないという理由で保育園を断られる。
会社に正直に報告すれば「赤ん坊がいるなら困るから辞めてくれ」と言われる。

生活保護も「仕事と保育園が決まるまでの短期間前提で」と相談しましたが、返ってきたのは「男でしょ、30歳でしょ、働いてください」という冷たい言葉。

「俺は食わなくても息子には食わせる。それだけは決めていました」と語ります。

当時、受けられた支援は児童手当だけ。
その後しばらくしてようやく制度が改正され、父子家庭も児童扶養手当の対象になりました。
けれどそのときにはすでに社長としてそれなりの収入を得ていて、結局恩恵は受けられなかったのです。
「必要なときには届かず、届くようになったときにはもう遅い」――そんな皮肉な現実もありました。

さらに当時は平成14年。インターネットとは無縁で、情報を得る手段は公衆電話の分厚い電話帳しかなかった。
片っ端から調べては電話をかけ、必死に動いた。情報の乏しさと不便さは、父子家庭としての孤立感をより強めるものでした。


保育園と費用の重圧

まずは息子を預けられる場所を探し回り、ようやく無認可の24時間365日の保育園を見つけました。
息子を預けられる“ひとつの安心”は得られたものの、その費用は高額。

当時は父子家庭で仕事もなく収入ゼロの状態。
「キャッシングを重ね、車を売って安い軽に乗り換えて、生活費にあてるしかありませんでした」
と、HAJIMEさんは最初の最初の段階を振り返ります。


仕事と給与遅延

その後、友人の紹介でとりあえず仕事に就くことができました。
ようやく生活の基盤を作れるかと思った矢先、勤め先で給与の遅延が始まり、再び土台は揺らいでいきます。

そこで安定を求め、マザーズハローワークへ。
「父子家庭でもいいですか?」と相談すると、奥で「父子家庭なんて対応したことない」と職員がざわつくのが聞こえました。
それでも「母子家庭の方はこういう制度があります」と説明してもらい、ようやく相談に乗ってもらえたのです。
そこから介護の仕事を知り、資格を取得し、新しい道を切り開いていきました。


息子と共に走り抜ける日々

「夜泣き、離乳食、毎朝のお弁当、抱っこやおんぶ…本当にいろいろありましたね」
と笑いながらも当時を振り返ります。

息子はアトピーがあり、すぐに掻いて血が出てしまうことも多かった。
さらに夜間救急に駆け込むこともしばしば。熱を出しやすく、中耳炎を繰り返した息子。
切開のときは辛く、駐車場に入っただけで大暴れする姿を抱きしめながら病院に入ったといいます。

当時は「大変だ」と感じる余裕もなく、「俺がちゃんとせねば」という思いで必死に動き続けた日々でした。


父としての学び

「振り返れば、本当に大変だったのは小学2年まで。でも、その時間で得た学びは大きかったんです」

「大変だと思えるうちは、実はまだ大変ではない。
本当に追い詰められたら、考えて動くしかない。」

頼れる人がいないという現実。
だからこそ、どう考えて、どう動くか――それが道を開く唯一の鍵でした。

「なんとかなる。考えて行動することをやめなければ」
この答えにたどり着いたのは、孤立と行動の中で生き抜いた経験からでした。


結び

HAJIMEさんが当時を振り返り、語ったのはこうだ。
「あの頃の自分に休む時間は一瞬もなかった。大変さを“大変だ”と思う余裕すらなく、ただ息子のために考え、動き、調べ、もがき続けた日々だった」と。

頼りたいときに頼れる人はいない――だからこそ、自分で考え抜き、自分の足で動き、道を切り開いていくしかなかった。
それでも、必死に積み重ねた時間は決して無駄ではなかったのだ。

「なんとかなる。考えて、行動することをやめなければ。」
この信念が形づくられたのは、まさに育児の渦中だったと語る。

そして今――
その姿勢は、クライアントを支えるコンサルタントとして息づいている。
「調べる」「考える」「行動する」。
ときに頼り、ときに頼られる。
息子のために必死だったあの頃の営みが、今は誰かの事業を支える力へと変わっている。

育児の試練は、彼を押し潰すものではなく、鍛え上げる時間だった。
だからこそ今も、クライアントに向かってこう思いを込めて言う。

――大変だからこそ、考えて、行動すれば必ず道は開ける。

そして付け加えるように笑う。
「まぁ、今だからこそ“大変だったなぁ”と笑えるんですけどね」

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